1 条回帖
料理のことを持ち出すと中国人はきっと夸らしげにこう言うでしょう。「そりゃ当然中华料理でしょう!」 たしかに、远く数千年前には、我が先祖は『斉民要术』『玄宴春秋』『食珍录』などの书物のなかで、料理の材料、调理方法そして食物の薬効に至るまでを详细に记载しました。 歴代の王が世界の山海の珍味を集め、天下一の料理人を雇ったことは言うまでもありませんが、宫廷の高官、裕福な商人たちまでもがその権力と财力で各地の特产物や料理人を集め、はては退职した有名な宫廷料理人を招聘し、「観之有色」(目に楽しい)、「闻之有香」(美味しそうな匂いのする)、「食之有味」(食せば美味しい)酒宴を设けてその権力を夸示しました。文人たちはさらに、その美酒佳肴を味わい、赏賛し、永远に诗に遗しました。また、たとえ兵马相乱れる戦乱の世の中でも、「朝に酒があれば朝に饮んで酔う」(明日は明日の风が吹く)という消极的な概念が中国人にはあり、生存のあらゆる希望をすべて「食べること」「饮むこと」につぎ込んだのです。 だから、私见によれば、中国料理は先に述べたように、泰平の世と戦乱の世のなかで积极的に消极的に発展したのだとおもいます。 これに比べて日本料理からは、平静さや优雅さ、平安が伝わってきます。日本料理のどの宴席の、どの皿、椀、钵を见ても、その独特で珍しい「美」「雅」「静」を感じることが出来ます。思うに、ほとんどの中国人は、初めて日本料理を味わった时、私と同じように深い感动を覚えるのではないでしょうか? 以前、一人の日本人が真剣な様子で私にこう话したのを覚えています。「日本料理というものは、半分は见るもので、后の半分が食べるためのものだ」私もこの意见に賛成で、またこうも思っています。「ただ単に料理だけを味わうというのではなく、运ばれてくる皿、椀、小钵など、料理にあわせてさまざまに変化する器の大きさやかたち、色、そして凝った盛り付けなども一绪に味わうべきだ」と。日本料理の中の「懐石料理」が使用する皿、椀、箸は、料理と日本の伝统である茶道、花道との関连、また、その时と场所に合わせたもてなしの心がもっともよく现れています。料理を味わう者は、皿、椀、钵に盛られた料理の中から日本料理の「美」「雅」「静」を感じ、日本の伝统思想を深く理解することが出来るでしょう。 ところで、来日して随分たちますが、家族や友人と温泉旅行に行くという话があると、いつもとても嬉しくなってしまいます。実を言うと、温泉に入るのが嬉しいというのではなく、またあの「皿」や「椀」や「钵」に会えるから嬉しいのです。もしあなたが日本で温泉にいく机会があったなら、どうか必ず、その运ばれてくる、料理と组み合わせられた「皿」「椀」「钵」などの器に少しだけ注意を払っていただきたいとおもいます。 |